あかほりさとるの例の本

 
軽くつぶやいてみる。
トラックバックも貼らない方向で。
 

クラスに40人いたら、本を読む人間は5人しかいなくて、残りの35人でも読めるものを作ろうっていうのが始まりだった。そのために意図して行間あけてスカスカにしてたのに、それをまたギッチリにしちゃってさ。だから、また40人中5人しか読まない小説になってしまった。

 
これってさ、その35人とやらが全員「中身がスカスカな本があれば読む」人間だと仮定しての話だよね?
 



 
この仮定、確かに二十年前にはそのまま通用しただろう。
 
なにせ当時は、手軽に触れられるエンターテイメントが希少だった時代だ。テレビ番組は決まった時間にしか放映せず、スーパーファミコンのソフトは高額なうえに「いつでもどこでも」遊べるものとは言い難い。
 
そして小説には、テレビやスーファミに比べて、「夏目漱石一枚でおつりが出るような定価」「かばんのポケットに簡単に納まる携帯性」のようなアドバンテージがあった。
「精神的な敷居の高さ」という問題さえクリアしてしまえば、確かに需要は跳ね上がっただろう。二十年前には。
 

 
時は流れて、今の世界には携帯電話も携帯ゲーム機もある。
ヒマを潰す手段が大量にあり、それにかかるコストも大きく抑えられてきたからこそ、ニートが問題になるなどの現象が起きている。
 
そこで「中身スカスカで読みやすい小説」が希求されているなどという理屈が、まさか成立するはずがない。
 
クラスに40人、本を読む人は5人。まあそれはいい。
しかし残りの35人は、目の前にあるライトノベルを読むよりも、携帯でメールを送ったりニコニコなり画像掲示板なりを巡ったりPSPを取り出してモンハンを始めたりするだろう。
「スカスカな文章があれば読む」くらいにヒマな人は、すぐさま適当なブログを眺めるかVIPに行くかするだろう。今という時代にあっては、それができるのだから。
少なくとも、あかほりさとるが言うような「読みやすい」ことに特化したライトノベルに金を落とすことはない。買われるライトノベルは、それとは別の価値を持った何かだ。
 

 
何かの理由があってわざとそういうスタンスをとっているのか、それとも単に過去の成功にとらわれていて頭が現代についてきていないのか。
理由は分からないが、少なくとも、業界の偉人とは思えないほど軽率で、現実を反映していない発言であることは間違いないと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
……過去の業績は、ほんと手放しで評価できるし、尊敬できる大人物であることにも間違いないはずなんだけどなぁ……
だからこそショックだ……