ゲームは良いものなのか、それとも悪いものなのか

 
【【39】ソーシャルアプリのゲームについて】
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20100510/224700/?P=2
 

 考えてみれば、ほとんどのことに口を出さない僕の母も長時間のゲームだけは唯一反対していました。きっと、世の中の母親にとってゲームは大敵だということなのでしょう。
 
 僕は自分の子供がゲームばかりしていても、ゲームそのものが悪いとは思っていませんから、「おっ、やってるな」と思うだけです。もちろんゲーム以外にも面白いことはたくさんあるので、ゲームをしていても、どうせ飽きてそこに気がつくだろうと思っています。
 
 きっと「ゲームをするな」と怒る人というのは、そもそもゲームがよくないものだという認識を持っているのではないでしょうか。静かに部屋で読書をしていれば、怒られることはないでしょう。

要約すると「ゲームは悪いものじゃなく良い効果もあるはずなのに責められるのは偏見のせいだ」となる。
 



 
……いや、どうなんだろう、その理屈。
長時間のゲームと言ってる以上、短時間のゲームは別に悪だなんだと言われてないんだろうし。いくら益のあるものでもそれだけに耽溺することを良しとするような人はそうそういなくて当たり前。
 
「酒は体にいい側面もあるんだぜ」と言って毎日何本も酒瓶を開ける夫がいれば、たいていの奥さんは反対すると思うけれどな。他の家庭ってそうでもないのかな。
 
何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。
「絶対的に良いもの」と「絶対的に悪いもの」のふたつに無理矢理色分けせずに、節度を守ってさえいればいいだけの話のように見えるんだけどな、これ。
 

 
任天堂だったかの偉い人が、ゲームってのは基本的には悪いものだと言っていた気がする。時間を食う。資源を食う。教育的効果がどうこうなどというのは副次的なお話であって、それを第一の目的として作られているわけではない。ゲームをしているだけで生きていける人なんていない。
ならば、ゲームに関わる人間がするべきことは、「これこれこういう理由があるから悪くないよ」などという苦しい言い訳ではない。ゲームというものが宿命的に持った害を素直に認めた上で、じゃあその悪を補って余りあるだけの「良いこと」をゲームに盛り込んでいくことこそ、今必要とされている行動だろう……
と、そんな話だったように記憶している。
 
個人的に、この理屈には概ね賛同している。
ゲームをすることにはコストがかかるのだ。
そして、ゲームをすることが充分に有益である行為だとしても、それだけで人間が人間として生きていくのに充分な経験や資産を得ることはできないのだ。
これは、自分がゲーム好きな人間だからといって、いやむしろゲーム好きな人間だからこそ、目をそらしたりヘリクツでごまかしたりしてはいけないことではないか。
 

 
蛇足。
これまで私が会ってきた「ゲームばかりやって人生を送ってきた人間」達は、社会に出てきた時に高確率で何の役にも立たなかった。
特に、現状の自分を正当化するためのヘリクツのスキルばかりが達者で、どんなに失敗を積み重ねても焦燥感や向上心につながらず、何年現場にいても全く成長しないような人材が目立った。あくまで自分が見てきた人間に限っての狭い話だが、その傾向は確実にあった。
 
なので、長時間ゲームをしている人に対しては、「他のこともやったら?」とは言いたくなる。
「害だからやめろ」ではなく、「他のこともしろ」。ゲームを通して色々なことを学んで人間を豊かにしているんだー、などという理屈を本気で主張しているのなら、ゲーム以外のものを通して様々なものを学ぶことにも価値を見いだせるはずだからだ。
まあ実際にこれを言っても、言われた側の人間はおおむね「ケチをつけられた、不愉快だ」という形でしか受け取らないので何も変わらないのだが。
 
別にいいんだけどね、彼らの人生が彼らだけのものである限りは、好きなように満足して好きなように幸せになればいい。
ただ、他人の人生に干渉する立場にある時くらい、相手の言うことを理解する姿勢くらいは見せてもいいと思うんだけど。