「宗教的なるもの」の話

 
【既存宗教に変わって急拡大する「宗教的なるもの」への信仰】
(Kousyoublog)
http://kousyoublog.jp/?eid=2249
 
 
大笑いしてしまった。
 



 
宗教というのは集団に属する人間の精神活動上のストレスを緩和するために生み出された実利的なシステムだ。
 
世の中の理不尽なものに対して(事実であるかは全く関係なく)説明を与えることで不安を抑える。世界や社会に対する認識を同胞たちで共有しているという実感による、隣人への潜在的恐怖の抑制。社会性の維持に効率のよい思考停止ポジションの提示と。その他もろもろ。
そういったものがすべて、宗教というものが持つ効能だ。
 
そして、それら「宗教によって抑えられていたもの」のほとんどは、そのまま「現代日本人の抱えるストレス」とか言われるものに含まれる。
何のことはない。現代日本人の苦しみとやらは(あるいはその一部は)、「無知ゆえの迷信でしかないから」と軽い気持ちで宗教を捨て去ったことによる、因果応報の結果でしかないのだ。
 
 
 
……とまぁ、私はそんなふうに考えているので……
 
上記エントリに挙げられていた意識調査にある、表面上の「宗教はいりません」のポーズを大事にしつつそれでも宗教による恩恵を(たぶん無自覚のまま)求めている人々の増加事実は、かなり面白いものだと思えた。
 
結局「宗教」という言葉に対する拒否反応が表立っているだけで、いやむしろそれによって精神が追い詰められている人が増えているぶんよけいに、いまは「宗教にみえない宗教」が渇望されているということなのだろう。
 
捨てたはずの大切なものを、実は心の底では捨てきれずにいる……ということを、私は喜ばしいこととして受け止める。
それは日本の目指す安楽自殺に対して、内部できちんとブレーキがかかっているということだからだ。
 
もちろんそれは同時に、カルト大流行の素地が整っているということにもなるのだから、全面的には喜べないけれど。
 

 
(念のため追記:もちろんこのエントリは、現在ある宗教のどれかを全面肯定しているわけではありませんし、私自身も無宗教に分類される人間です)