暴力性という言葉の暴力性

 
【「なんの役に立つんですか?」の暴力性】
http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1
 
アナウンサーの軽口に対して研究者サイドの目からの激昂、それに対して(いつも通り)はてな民が勝手なことをブックマークで言いまくる。
議論の中核は、「基礎研究が必要なものか否か」。
なんとも馬鹿馬鹿しい問いかけだ。
んなもん、0%か100%かで論じることなどできるはずがないに決まっているだろう。
  
基礎研究が基礎研究である段階では技術転用の見通しなど立っているはずがないし、ならばどこかの現場で必要とされるはずもない。
しかし後日には、その基礎研究が完成していれば、それを元にした技術が開発される可能性が生まれる。必要という言葉を適用するならば、この段階においてようやくだ。
 
現在形で必要性を語るならば、「一、二年後、あるいは十年後かもっと先の未来に新たな技術として生活に還元される可能性」を「現在の資金と時間で買う」ことについて論じなければならない。
そうやって初めて、「現在」手元にある資金や時間の価値を見据えて、「未来に」拓かれるかもしれない可能性の価値と同じ秤に乗せることができるようになるはずだ。
 
少なくともそういう形に持っていかなければ、そもそも秤の左右に同じ単位のものが乗らない。話は常にすれ違い、噛み合うことなく、互いの思想を全否定する以外の発言が出てこないはずだ。
 



 
とか長々書いておいてなんだが、ここでしたい話はそれではない。
本題にしたいのは、別の話。
 

 
というわけで、改めて本題。
「暴力」って言葉はとても便利だ。
 
それは常に悪であり、正しき者の敵が奮うものであり、そこに正当性が伴うことはありえず、ありとあらゆる理によって否定されるべきものだ。
少なくとも、あるものを「暴力」という言葉で言い表すというのはそういうことだ。
 
先日、東京都条例がらみで提出された署名などについて「大勢のポルノ漫画家達が声をあげ圧力をかけてきているが、あのような暴力には決して屈せずに正義を貫いていきたい」というような実に立派な志に支えられたコメントが出ていたと思う。
これが、「暴力」という言葉の使い方だ。
あいつらは悪だから言うことの全てを無視していいし、それに抗う自分たちには完璧な正当性が約束されるよという無敵の十字架。
 
この言葉を頭に用いて人々に訴えかけようとした時点で、私はこのエントリを「煽動」だと感じる。
つまり、深く考えずに賛同してくれる仲間を増やすための文章であり、反対する者を分からず屋として排斥するための文章であり、総じて何か新しいことを読み手に伝えたいという目的を持たない文章だ。
 
それがエントリを書いた方の意図に正しく沿ったものであるかは分からない。
が、使われた言葉はしっかりと機能した。
このエントリのブックマークはあっさり煽動された人々と当然のように反発した人々とがちょっとした政争を起こしている。
 
こんなのはてなじゃ日常の出来事だ? ああ、確かにその通りだ。
しかしそれすら、元エントリは科学者サイドからの正しい訴えかけなどではなく、そこらの増田による社会への愚痴と同じようなものとしてはてなに呑み込まれたのだということだけの話である。
 

 
大声で自分の言いたいことを叫んでいるだけじゃ、誰も説得できはしない。
そうだそうだと言ってくれるのは、元から同じようなことを言いたがっていた人だけだ。それは説得ではない。
二人以上で声を併せればより広くにより強い声を届けることはできるだろうが、味方は増えない。増えたように見える人数は、もともと味方としてそこにいたものだけだ。
 
もっとさ、他の人も取り込めるような言葉を使おうよ。
基礎研究の重要さの分からない奴は敵、なんてアホなこと言ってないで、その重要さを教えてやれよ。お互いの知識の範囲をイーブンに近づけて、その上で話をしようよ。
 
それをせずに「世の中は分かってくれない」なんて言ったところで、そりゃあ当の本人たち以外にとってはただのワガママだ。
 

 
なんだろうな、研究者・技術者・芸術家などという人種は特に、周囲の不理解を当然のものとして諦めやすい傾向がある気がする。
だからなのか、自分の都合をいきなり相手にぶつけて、受け入れるか受け入れないか、0か1かの選択肢をいきなり迫ったりすることも多い。
そりゃあキモがられるってもんだ。
わけわかんないで反応できずにいるだけで「暴力だ」と被害者面されて敵にされるんだし、たまったもんでもないだろう。
 
あとオタクもな。
反応に困る周囲に対してただひたすら自分の権利を訴えるだけの姿とか、そりゃあキモがられて当然だし排斥したいと思うよ。いちおうオタク趣味というものにそれなりの量触れて予備知識のある私ですらそう感じるのだから、そうでない人たちがどう感じているのかなど、もう想像もしたくない。
 

 
総じて、このへんの対話の不足を、どうにももったいない話だよなと思うのだ。