ヤンデレの話

 
【[性]ヤンデレ――少女の「病み」に託されたもの】
(キリンが逆立ちしたピアス)
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090507/1241703367
 
 
上エントリの解釈は、本来の意味において、正しいと思う。
実際、現在の男性向けフィクションにおいて「新しいジャンル」とされているものの中には、源流を辿れば少女マンガがこれまで積み上げてきたもののデッドコピーでしかないものは数多い。
 
ただ、実際に世の中にあり話題となっていた「ヤンデレ萌え」自体はもっと形骸化した概念で、「自分への好意を従来の方法に比べて極端に刺激的な形で表現してくれる」ことへの快感でしかないと思うのだけど。
 



 
ついでに言うならそれは作品やキャラクターに付随する概念ではなく、読み手が「これが(この快感形式が)ヤンデレだ」とと言いだして初めて生まれるもの。
 
ひぐらしのなく頃に』の登場人物にヤンデレが含まれているのではない。『ひぐらしのなく頃に』という作品に触れた者の中から、「これはヤンデレとして楽しめる」という解釈をした者がある程度の数存在し、「ひぐらしヤンデレ」という公式を声高に叫んだだけだ。
その解釈が正しいかどうかは関係ない。
というか、「竜宮レナヤンデレ」という図式自体、原作ストーリーからはだいぶ乖離した考え方であるわけで、キャラクターがストーリーから発生するものだという前提を守るならば、正しいはずがない。
ナタ持ってて怖いからヤンデレ。そう大声で叫ぶ人間が一定数いるからヤンデレで決定。それが民主主義。それがWeb2.0
 
他の多くの作品についても、同様のことが言える。
作り手が「こいつヤンデレね」と意識して作られるキャラクターなど、打ち出す記号を選ぶところから始めないと話にならない一部業界(18歳未満購入禁止のPCゲームなど)の一部作品くらいにしかいないのではなかろうか。
 
つまり、ヤンデレはそれ自体、手法でもなんでもない。
むしろ受け手が作品の多様性から目をそらし、定量の楽しみ方以外を切り捨てるための、(ある意味作り手に対して失礼な)思考ツールでしかない……と自分は解釈している。
(そこから新たな手法を生み出すクリエイターもいるかもしれないが、それはまた別のものとして扱うべきものだろう)
 
……ま、このへんの話を言い出したら、ツンデレも同じなんだけど。
 

 
しかし、久しぶりに書くエントリがこれなのか自分!