「悪いのは誰?」と尋ねて倫理観を計る

 
【悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語】(タケルンバ卿日記)
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
 
もう語りつくされた話題みたいだけど、別にここは旬の話題を追いかける最先端ダイアリというわけではないので、気にせずに扱ってみる。
 



 
まず、それぞれの登場人物が何人であるか(どのような文化背景を倫理基盤として持つか)についてまったく言及していないあたり、問題を出した人の底意地が悪いか、もしくは単純に日本人が日本人をターゲットにして作った心理テストだからこれでいいのだということになる。
 
どちらにせよ、この設問の中で設定されている「無人島」は、そこで働くべきモラルがどのようなものであるかについて、意図的にぼかす形で紹介されている。
 
なんでか。
それは単純に、この設問が、「解答者個人が持つ倫理観を見る」ための心理テストであり、それ以上でもそれ未満でもないからだ。
 
そもそも善悪というのは背景となる社会が定めるものだ。が、この設問の中ではその背景そのものが曖昧にされている。
それでも敢えて善悪について考えようというのなら、回答者が設問を読み取ったときにかかったバイアスの中から善悪判断基準を引っ張ってくるしかなく、ゆえにその回答の中には、本来無自覚である部分も含めて、回答者の考え方というものが露骨に現れるようになる……と、こういう寸法だ。
 

 
「妻が悪い、たとえ夫を見殺しにしてでも貞操は守るべき」と答える人がどういう倫理観を持っているのかは分かりやすい。女性の貞操、あるいはそれに象徴されるタイプの誇りは、他の何よりも尊く守られるべきものだということだろう。女性側の意思や感情を無視しているような気がして個人的にはまったくといっていいほど共感できないが、そう考える人がいるだろうことは否定できない。
 
「夫が悪い、自分のことを思って妻が自分を犠牲にしたのになぜそれを咎めるんだ」と答える人なら、その真逆に近い。極限状況にあっては人間は個人の集まりとなり、そこでは(それまで社会に保証されていた)夫婦という関係は相対的に力を失う。そこにあって妻の「一人の女性として大切な男性のために妻としての禁忌を敢えて犯す」という選択を肯定しようというのなら、「悪いのは夫」という結論にならざるを得ない。
 
「体を要求した男が悪い」がまぁもっとも一般的な答えになるだろうし、実際それが常識的な考え方というものではあるのだけど、だからこそ逆に「常識が生きている状況での考え方になっている」と見ることもできる。本当に極限状況に身をおいた者のことを考えた時、自分の持っている能力を活かして他人から何かを得ようとするという判断は当然のものであり、なんら咎められるべきものではないのだから。なのでこの回答を返した者は、一周巡って過激になってしまった「『いい人である自分』を守って飢えて死ぬべき」という倫理の持ち主か、あるいは極限状況というものを想像できていないため最も責めやすい人を責めてみただけか、そのどちらかということになるだろうか。
(体の要求というのは生存のために必須の要求ではないし、よほどの事情がない限り船を直すことは一行全体の生還につながることのはずだから、この辺りの設定についてどのような解釈をして回答したのかによってまた話が色々と変わってくるだろうが……そのへんはこの設問の意図の読みにくいところだ)
 
「無責任なことを言った老人が一番悪い」や「最後においしいところだけ持っていった男が一番悪い」という人は、極限状況にあっては人は公平であるべきだという考え方をしている。
老人は「一連の出来事を通して唯一リスクを負わなかった者」であり、男は「一連の出来事を通して唯一得をした者」だ。そして彼らを責める理由があるとしたら、まさにその「唯一」の部分をおいて他にはありえない。
 
「誰も悪くない、強いて言うなら運(か環境)が悪い」と答える人は、極限状況というものを理解してはいるけれど、逆に「充分な(と自分で思える)言い訳があれば倫理観を捨てるのもよし」と心の底では考えているということにもなる。
 
「聞かれていることに興味はないがこの問題はセクハラだ」と答える人は非常に表層的なところにだけ倫理の判断基準があり、また「自分が正義の側に立っている」と確認することだけを目的に他者を悪と設定しようとする傾向があると見られる。言ってみれば「理屈はいりません、善とはすなわち私のことです」という倫理観。ある意味すごい。
 
乱暴な分析なので漏れも多いだろうけど、大枠としてはこんなところか。
 

 
んでもってまぁ、これら全ての回答の間に、優劣はない。もちろん正誤なんてものがあるはずもない。
ただ、この回答を通して、「自分は(orこいつは)実はこんな風に考える人間なんだなぁ」というのをつかむことができればそれでいいという、まぁその程度のものだろう。そもそも心理テストってそういうものだし。
 
そう理解した上で、元エントリについているトラックバックをあれこれ辿っていくと、色々な人の色々な倫理観と、「他人の持つ(自分と違う)倫理に対してどう考えているのか」がハッキリと見えてきて、なかなかに面白い。
それがディスカッションというものの妙味のひとつなんだから、当たり前といえば当たり前なのだけど。
 

 
ちなみに私の答は、「誰も悪くない」に近い。
それぞれの人間が、それぞれの人間の能力・立場・目的にふさわしい形で最善の行動をとった。その一連の出来事を、無関係な周囲の人間が指差して善だの悪だのとレッテル付けをするということ自体に、居心地の悪い傲慢さを感じてしまう。
そしてもちろん、上のほうで私自身が書いている通り、この考え方は「個人の能力・立場・目的にふさわしい最善の行動をとればそれは正当化される」という、場合によっては危険となりうる思想に通じるものだったりする。けど実際、心の奥底でそう考えちゃってるんだから仕方ないと思うんだよなぁ。
 
 
 
いや、できることなら「設問者の意地が悪い」と答えたいんだけどね?
 
 

 
補記。
 
【次の文章はある無人島漂流の物語の一節である。】
(負けまいとする心でしょう!)
http://kd1.blog103.fc2.com/blog-entry-226.html
 
こういう、「外野から善悪どうこう言うより、当人たちの気持ちを理解しようとするのが先じゃないの?」的アプローチは、とても好き。