コピペで済ませられる読書感想文

 
【大学生から小学生まで 「ネットでコピペ病」蔓延】
@nifty ニュース)
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-23519/1.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0712/TKY200807120078.html

 
少なくとも十年以上前から問題視されていたはずのことなので(当時も同じ件についてWeb上に私見を挙げた記憶がある)、今さら「なんと〜広がりつつあるというのだ」などと煽られたところで、何かのジョークのようにしか思えなかった。
 
記事後半にあるツールの開発記事が目玉なのだったら、そのように書くべきだったのではないだろうか。少なくともこの煽りと前半の文章のおかげで、「初めてネットに触れた人の驚愕を大げさに演出してみた記事」以上の印象は抱けない。
  
それはそれとして、私はいちおう(元)教育関係者であるため、この手の記事を見るたびに、思うところが幾つかあったりする。
 



 
そもそも、この問題の根っこは、どこにあるのだろうか。
元記事では、「ネットが悪い」「ネットを使う子供たちのモラルが悪い」などという切り口で扱われているわけだが、どうにもこれが的外れな話のように思えてならない。
 
ネットが普及するよりもはるかに前から、悪ガキにとって宿題とは、「なんとかして友人がやったノートを写させてもらうもの」だった。要領の良い悪ガキはそれを上手くやってのけ、そうでなければ失敗して教師に怒られるなり結局自分でやる羽目になったりしていた。要領よくズルをする者が得をし、そうでない者はしっぺ返しを食らうという、ひとつの「教育」がそこにあった。そういう教育を受けてきた子供たちは、ズルをすることのリスクとリターンを知り、だからこそ逆に真面目に積み重ねて生きることの強みを実感出来ていたはずだ。
この事実を無視しては、コピペ読書感想文問題とやらについて、何を語ることも出来ないのではないだろうか。
 
「友人のノート」と「ネット上のサイト」、この二つのコピー元それぞれの特性の差を見極めて、その上で何を問題視し何を解決するべきなのかを考えるべきなのではないだろうか。
 
個人的には、「安易な道には落とし穴が仕掛けられているべき」「その穴にはまる痛さ、あるいは穴をよける困難さを教えられれば、そこに『教育』は発生している」と考えている。
後の問題はその落とし穴の仕掛け方次第であり、そこがその教師の腕の見せ所だろうと。
 

 
……しかし、最近の小学校は、提出された読書感想文をもとに討論会とかやらせないのかね。
 
「書きました」
「提出しました」
「点数つきました」
だけで課せられたノルマがきれいに片付いてしまうなら、そりゃあ他人のものをコピーするのが一番手っ取り早くて効率もいいに決まってる。
明らかに効率の良い選択肢がそこにあるというのに、ただ「禁止」の一言だけでそれを取り上げて非効率な道を歩ませようというのは、それこそ教育上どうなのだろう。
目の前の問題を解決するためにあらゆる手段を検討し、その中から最も効率の良いものを選択する……そういう経験を積む絶好の機会を奪い去っているのなら、「最近の子供は応用力やら発想力に欠ける」などという言葉は口が裂けても言ってはいけないはずなのだが。
 
子供のモラルがどうこうとか言うよりも前に、手元の提出物から視線を上げて子供の顔を見るだけでも、えらく話が変わってくるはずなのだけど。