寄贈された本と廃棄される本、望まれる本と望まれない本

 
【財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄】
朝日新聞社
http://www.asahi.com/national/update/0712/TKY200807120078.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0712/TKY200807120078.html
 



 
図書館側・寄贈側ともに、ブックオフに代表されるようないわゆる新古書店と変わらない状況にあるように見える。
 
(というか、上記事の前提条件として、図書館は新古書店と同じような機能を持たねばならないというものがあるようだ……なんとも違和感のある話だが、そのこと自体の是非についてはさておくとする)
 
ただし、新古書店にとって本の買い入れと売却は商売である。どの本を求めてどの本を拒むのかについて、「金額」という分かりやすく一元的な指標がある。
そこにおいて10円の本と1000円の本のどちらを大切に扱われているかと問われれば、誰だって後者だと即答できる。一元的な価値を持つというのはつまりそういうことだ。一度決まってしまった数字に紛れはなく、迷いもなく、ゆえにシステムは滞りなく動き続ける。
 

 
もちろん、図書館は本を売って利潤を追求する場所ではない。だから、営利団体である新古書店と同じような手は使えない。
しかし、あるいは、それに近い何かが今は求められているのではないか──上記記事を見た限り、そういう印象を受けた。
 
「図書館を利用する誰にも望まれていない本」は要らない。
「図書館を利用する誰かに望まれている本」が欲しい。
 
需要のない本を泣く泣く廃棄したり、ベストセラーとなった本を求めたりするということは、つまりこういうことなのだろう。
 
ここで対象になっているのは「図書館を利用する者たち」という「集団」である。
「個人的に探していた本が図書館に来たら見つかりました」というような「個人」の需要は、そこでは考慮されない。いくら達成したところで数字で見える成績にならないので、「官はまた税金を無駄遣いしている」「もっとみんなが使える施設に金をかけろ」という声の前に大人しく潰されてしまうしかないのだ(もうこの時点で図書館として色々なものがおかしくなっているが)
 
しかし、大衆主導のこの考え方は、実質的に、新古書店が用いているシステムと同じものだ。「望まれている・いない」という一元的な物差しで本を判断するわけだから。
 
加えて、図書館は商売でやっているわけではないのだから、そこに「金額」というさらに分かりやすい指標を持ち込むことが出来ない。その分、新古書店に比べて、圧倒的に不利な立場にあるとも言える。
 

 
……というか、まあ。
 
かつて図書館が独占していた「読みたい本を読みたい時に読みに行ける場所」というアイデンティティを、(図書館業界から見れば新参でしかない)新古書店なりネットカフェなりに取られてしまって、妙な方向に焦ってしまっている、ということなのだろうか。
そしてその焦りに煽られるまま、妙な方向へと意地を張ってしまい、ずるずると迷走している……端からみていると、どうにもそんな印象がある。