身も蓋もない仕事の法則

 
【身も蓋もない仕事の法則 (みんな建前ばかり言うからオレが本当のことを言ってやる)】
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080410/1207806673
 
あ、これいいな。
ほとんどの項目について、素直にうなずける。
 
中には、素直にうなずきつつも「これは新卒くらいの人間には分からない話だよなぁ」と少し年寄りじみた気持ちになれたりもする悲しい項目も。
 



 
上記エントリにあった記述の中で、特に重要な考え方だと思ったのが、
 
>> ほとんどの人は「会社がお金を儲けること」へのこだわりが薄い。だから、「会社がお金を儲けること」にこだわって仕事すると、上司からも会社からも高く評価される。
 
これ。
 

 
「こいつに仕事を任せても大丈夫だ」という「仕事のパートナーとしての信頼」がどこから生じるのかといえば、つまり、仕事を任せられた時に何を結果として運んでくれるのかについて、明るいビジョンが見えるという一点だ。
 
しかるに、自分のスキルアップしか見えてないような人間に仕事を任せて、一体何が結果として生まれてくるというのか。
そういう人間が目指す成功とは「その場所で学べることを学んでさっさと転職する」であるわけで、これは成功しても失敗しても、別に会社にとってありがたい話ではない。少なくとも、会社側がしっかりバックアップして育てていきたい人材だとは見られない。
 
むろんスキルアップを目指すこと自体が悪いわけではない。自分のことだけを考えているのが悪いという、本来ならば子供のしつけのレベルの話だ。念のため。
「後に会社に得をさせるためにスキルを磨く」か「スキルを磨かせてもらった分、会社にちゃんと貢献する」か、本来あるべき考え方としてはそんなところだろうか。
 

 
「自分のスキルが上がれば自然と周囲にも評価されるはず」と考えている人間は、確かに少なからず存在する。
冷たいことを言うなら、そういう人間が(本人の基準で)正当に評価されないのは、自分の周辺の社会に対して無関心に生きてきたツケだ。
 
他人のスキルの有無そのものに対して評価するような人間は、同じ道を歩んでいる最中の求道者だけだ。
 
そのスキルによって何が生み出されどういう得をもたらしてくれるのか。ほとんどの人間にとっての評価対象は、その一点に尽きる。
 
そもそも、ほとんどの人間にとって、他人の専門スキルは理解できない世界の話なのだ。
理解できないスキルに対する評価など、「へぇ凄いね」か「頑張ったんだね」が精一杯。これも厳密にはスキルを得るに至った努力に対するねぎらいの言葉であり、スキルそのものに対する評価ではない。
それ以上の評価が欲しいなら、他の人間にも理解できる形の結果を何か提示するしかない。それが嫌だというなら、自分のスキルは自分を満足させるためだけのものなのだと受け入れるべきだろう。
 

 
こういった考え方を、きれい事だ理想論だ理屈だけだと切って捨てるのは容易い。
いわく、労働の現場はひどいところで、会社は搾取しか考えてない。そんな場所で自衛のためには自分のことだけを考えて、自分自身が身につけられるスキルに頼るしかない……
私は、それらの意見をわざわざ否定はしない。崩れそうな心の平衡を愚痴によって保てているのだとすれば、(一時的にせよ)有益な考え方だとすら認める。
 
ただ、「その考え方は後々に損なんじゃないの?」とは言う。
 
そういった愚痴が出てくる人、自分の現在の環境に不満がある人は、「きれい事や理想論や理屈の通じる労働環境」に興味があるはずだ。ならば、そういった考え方から目を逸らしちゃまずかろう。幸福に対して貪欲な者は、自分が求める幸福がどんなものであるかをしっかり見据えているものだ。
それとも、やみくもに転職を繰り返していれば、いつか夢の理想郷が自分を出迎えてくれるとでも思っているのだろうか。だとしたら、それこそ、早々に夢から覚めることを強く勧める。
 
目指したゴールそのものには辿り着けないにしても、それでも、ゴールを目指して走ってきたという事実は、如実にその人の立ち位置を変えてくるはずだと思うわけだが。
 

 
冷笑的なエントリはやめようと決意した直後に、なんだかまた職場の愚痴が絡んで、趣旨のよくわからない迷走を始めてしまった。
これ以上わけのわからないことを書き始める前に、ここらで終わってしまえ。