「15勝14負の人生でいい」

 
【島田 紳助「15勝14敗の人生でいい」と子供達に熱論!】
http://www.zibun-news.com/2009/01/sinsuke_neturon.html
 



 
1勝29敗であってもいい、その1勝と29敗に30勝分の価値を見いだせればいいんだ……というのが私の持論だ。これは、上記エントリにおいて島田氏が主張していたことと、完全には一致しない。
それでも、彼が子供達に対して「1勝だけでも勝ち越せばいい」と説いたことを、私は極めて高く評価する。
 
子供は、勝ちや負けに対して、大人のように評価をつけることができない。というか、つけることができてはならない。それができるようになってしまったら、それはただの諦めきったバカか、あるいは立派な大人かのどちらかだ。
だから子供に対して「価値ある敗北を」などと説いたところで、その意味を理解はしない。実践もできない。
 
スポーツ界においてよく聞く「全力を出し切って負けたならそれでいい」という言葉が、言葉以上のものになりえない理由はそこにある。
価値ある負けを理解できない、あるいは結果論を結果論として扱えない者にとってのこの言葉は、ただ負けを正当化し、勝ちに辿り着けなかった自分たちを慰撫するためだけのものにしかなりえない。
 
だから、子供に対して「負けでいい」とは言ってはいけない
「負けたなら、次は勝て」と言わなければならない。
そう言葉をかけられて勝負に挑んだ子であれば、敗北したときには、次の勝利に向けて動き始められる。そして、勝利に向けたその姿勢がありさえすれば、敗北には自然と価値が生まれる。その敗北から学び取るべきものがあるならば、子供は自然とそれを学び取っているはずだ。なぜなら、次は勝利するつもりでいるのだから。
 

「学校は勉強しに行く所じゃない!勉強は家でも塾でも、どこでもできる!学校は(嫌)なことを(良い)ことに変える訓練をする場所や!嫌な事っていっぱいあるねんな!嫌な友達がいたり、先生がいる。でも、その嫌なことを良いことに変えれる訓練をいっぱいした奴は大人になった時に、その訓練が役立って、いっぱりある嫌なことを良いことに変えて生きていけるねん。だから、学校でいっぱい訓練をしてな」

 
この言葉などは、実に素敵だ。
言われている内容が正しいか正しくないかなどということは、心底どうでもいい。そういう態度で学校という場に向かうという姿勢、そして子供たちにはそのようにして学校に向かってほしいと願うその態度、そういったものを、素直に、素敵だと思う。
 



 
そして何より評価されるべきは、彼の台詞の中には、「幸せになれる」「良いことがある」といった保証の言葉がまるで含まれていないことだろう。
 
それを責任回避だと見る向きもあるだろうが、私はそれを、誠意の表れと見た。
 
幸福なんてものはもともと、心の持ちようのひとつだ。
それをわざわざ定量化しようとするバカが大量に湧いたから、自称不幸の迷い人が世の中に溢れかえるようなハメになっているのだ。
そんなものをわざわざ保証してやるぜなんて言い出すのは、新興宗教の勧誘文句だけで充分だ。
 
そも、聞こえがいい綺麗事を並べるという手段を使わずに、子供やお茶の間の人々に受け入れられるようなこと(=未来に希望を持てそうなこと)を言えるということは、もうその時点で相当に凄いことだと思うのだ。
 

 
ここまで書いて、手放しで褒めすぎかなとも思ったが、まぁいいだろうということにする。気分のいい時くらい、ヘタな荒探しをしたりせず、全面的に何かを受け入れられる自分でいたい。
 
結局自分本位な理由かよと思ったりもするが、まぁいいや。
 

 
とまぁ、そんなこんなで、島田紳助という人物に対しての私の評価は、このエントリを見てぐんと上がった。
もともとそう低く評価していたわけでもなかったのだが、いやはや人の株というものは上がるものなんだなぁ。