「最近の若者たちは軽く会社をやめたがる」

 
最近の若者たちは軽く会社をやめたがる
http://q.hatena.ne.jp/1213722694
 
軽くだけ触れてみる。
 



 
「最近の若者たち」というおおざっぱなくくりで話題を持ち上げておきながら、「会社をやめたがる」という狭い現象についての愚痴に近い話を展開したため、案の定回答者にフルボッコ。その果てに
 

みなさん、貴重なご意見ありがとうございました。
今後の参考にさせていただきます。
 
結論から言うと私の力量不足をいうことで納得しました。
 
皆さんいろいろお手数おかけしまして申し訳ありませんでした。

 
この結論に至ってしまう辺り、確かに力量不足と言えなくもない。
 
しかし、ここで言う「力量不足」は、本人が納得したような、認識の甘さや相互理解の不足といった理由によるものではない。
それよりもはるか手前の段階、「最近の若者たち」という言葉を持ち出してきたことによるラベリングこそが何よりの問題であり、それによって何かの結論が出てしまったのだと安易に受け入れてしまう(という態度をとる)判断力こそが「力量不足」と呼び表されるべきところだ。
 



 
「最近の若者たち」がどれだけの人数を示す言葉なのか、詳しい数字はわからない。が、軽く何千万という数字の人間を含めてしまうだけの、規模の大きな言葉であることは間違いないはずだ。
そこまで対象を広げて話をするならば、たかが一個人でしかない質問主が見てきた「若者たち」など、何のモデルケースにもならない。いくらでも湧き出てくるであろう「こんな人間だっている」「こんな傾向だってある」という話のことごとくは全て肯定されるべき事実となるし、そしてそれらの指摘の全てが質問主の見識の狭さを攻撃する言葉となる。
 
つまり、「最近の若者たちは軽く会社をやめたがる」という言葉をタイトルとして掲げたこと自体が、質問主自身の知りたがっている答えを人に請うことを全て放棄し、「いいから自分を否定してくれ」と万人に向けて呼びかけたということと同義だったのだ。
 

 
「最近の若者たち」と呼ばれる人々にも色々といるし、その中には確かに、ゲーム感覚(この言葉も色々と危険だが)で仕事を止める者も大勢いる。そのことは否定できないし、されるべきでもない。個人的にそのへんについて色々と買ったり愚痴ったりしたいこともある。
 
余談になるが、そのへんについて、うちの過去のエントリで触れたこともあった(http://d.hatena.ne.jp/tea-kettle/20080411/1207843087
 
重要なのは、それが全てではないということ。
木を見て森を語る真似は、森に住まう全ての生き物に対して失礼だということ。
立場やその他の理由で森の全容が見えないのであれば、「自分が見ているのは木だけなんだ」ということをはっきりと認識し、言葉にもそう表すこと。
 
思い込みを前提に据えて話が通じるのは、同じ思い込みを共有する相手に対してのみなのだから。