「一つの思い出」なら許される話

 
【「『サンタフェ』を廃棄しろ」?〜誤解を排し正確な児童ポルノ規制の議論を】
http://www.hanashiyasuhiro.com/modules/news/article.php?storyid=194
 
あれ?
この規制って、児童の人権を守るのが目的じゃなかったの?
 
「自己の性的好奇心を満たすため」に作品を所持するのが犯罪ってことは、有罪と無罪を分ける基準は、所持する人間の欲望のあり方にこそあるということ。
そこには、当の被写体の人権とかは、まったく関係がない。
 
あ、もしかして、私がこの問題を最初から読み違えてた?
「年若い者に対して劣情を持つこと」自体を規制するっていう話だったの?
だとしたら、『サンタフェ』がどうとかジャニーズがどうとかいう問題の前に、普通に思想統制として責められるべき話に流れておかしくない気がするのだけれど。
 



 
つーか『サンタフェ』なんて、まさに親の意志で強引に(人権を無視して)脱がされた子供の写真集で、あきらかに性的な目的で購入する客がほとんどであったわけだ。
上コラムで主張されるような「あいまいではない具体的な判断基準」が本当に機能しているなら、一発アウトを逃れられる理由がない。現在形の「単純所持」を咎められるんだから不遡及の原則は適用されないわけだし(この理屈自体の正当性についてはさておく)。
 
ジャニーズだって同じ。ああいうパフォーマンスをとることで女性ファンの興奮を誘えるという商業的な(大人の打算による)指示を、若者自身の裁量で受け入れて、ステージの上で実行しているに過ぎない。
それを規制の外に外しておいて、「男性ファンの興奮を誘う商業的なパフォーマンス」は攻撃するというのは、いったいどういうことか。
 
しかもその理由として出てくる言葉が「一つの思い出」。
 
裸を晒しても「これは思い出です」と言い張れば問題ないということか。
それとも、それが思い出であるか否かは、裁判所が判断するということか。
その「明確な基準」ってのは結局何なのか。
「思い出」というものは、当人が主観で持つものではないのか。
これからは、公正なる正義であるところの裁判所に「あいつのそれは思い出だが、お前のそれは思い出じゃない」と言われたりするのか。それが「児童の人権が守られている」ということなのか。
 
……もう、何が何だか分からない。
 
できるだけ邪推や揚げ足取りはせずに読もうとしてはみたけれど、そもそもコラム全体を通してごまかしの言葉が並びすぎていて、何が言いたいのかすら見えてこない。
東京新聞や週刊ゲンダイの決めつけ記事に対して反論したかっただけだとしても、掲げる理屈があまりにお粗末だ。決めつけられていたという「全規制」の理屈のほうが、まだ筋が通っていて理性的だとすら思えてしまう。
 

 
結局、上コラムでの発言に限らず今回の件に関しては全体的に、それぞれの政治家が「それを規制したときに自分に増える敵の数」だけで善し悪しを判断しているようにしか見えない。
守られる権利とか表現の自由がどうとか政治的なコンセプトとか、そういったものはまったくなし。最初から最後まで完璧に打算のみ。
 
もしかしたら政治家当人たちにその意識はないのかもしれない。
けれど、結局法律や条文のひとつひとつが現場に及ぼす影響に対して想像力が及んでいない人の発言は、唯一当人の想像力の内側であろう「保身」の概念を除いて、現実味を帯びない。
おかげで周りの人間には空々しくしか聞こえず、そういう結果にならざるを得ない……とか、そんなことをすら考える。
 

 
別にこの件でどこかの政党を責めたり「規制はおかしい」などと騒ぐ気はないけれど、こういう政治の行われ方が当然のようにまかりとおっているという現状に対しては、素直に「怖い」と思う。